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流水白濁 ~ありふれた怯(おび)え 泡立たぬ石鹸のように 流れた水だけが白く濁る

  • Snooo
  • 2017年5月11日
  • 読了時間: 3分

池田昇太郎   詩書   服田雄介   画描

流水白濁

はじまりを迎えました。

起途

今日はどこで目覚めるのだろうか

灼熱の砂の上、サハラかゴビか  揺れる地平線の前を移動する民

舐めると塩っぱい水に浮く、死海か  爆撃の音が水の中まで沁(し)みている

雪深い森の中、シベリアか  屍が雪の底から語りかけてくる

   踏んだことのない土地の匂いがする

目覚めた場所は自室に決まっていた

円環する時間の軋みを聞く

猫は耳を欹てる

川底のない滝の流れる音

打ちつけられる衝撃はなく

ひたすらに押し寄せる

晴れた日の午後

ヘリが轟音をあげる都市

ありふれた怯(おび)え

泡立たぬ石鹸のように

流れた水だけが白く濁る

正午を疾(と)うに回っていた

この池田昇太郎本人のありふれた日常の平凡な目覚めの身体の音を聴くような、文章にならないことばを書き出した詩書は服田雄介に送信される。

流水白濁 流れた水だけが白く濁る

どちらがこの不易流行(芭蕉)のようなタイトルをつくりだしたかという二元性に関与はせず、これは他者性によるものであるとしたい。

画を描くそのテクニックについては話さない

テクニックとは本来、行為を成す当事者にとってのみ、しかも行為を分析し乗り越え、継続を含めた再現を志向していく者、もしくはそうならざるを得ない者のみに有益な限定的なものである。それを内側にそのものとしておくことは自らの抽象表現に関して、偶像化は否定しつつも、内側で向き合っていくこと(服田雄介は偶像破壊・否定派という言い方をする)になり、その繊細な内に向かおうとすることに肯定的(ポジティブ)な雰囲気を服田雄介と接する者は感じ取る。

つまり、偉大であることを求めないことが自己を含んだ人々の表現活動の奨励につながるという示唆をふたたび引き合いに出させ、その現状を肯定するような知足や真に向き合おうとする真摯さを感じさせる。

作品は明らかに(物理的にという意味で)共同制作のものが一点のみ、あとはそれぞれの画描、詩書、インスタレーションに見える。

しかし、本人たちによると15点(上述の1点を除く)あるそれぞれの画描作品には、それぞれの具体的な詩書があるという。

その具体的な池田のことばは展示空間には観ることはできない。しかし、何かあるという感じ=存在(感)を与える画描であると個人的な画描の経験から察することはできる。それはもちろんこの展示が共同であることの低次な証(エクスキューズ)などではない。それは共同でなく獨りで描いていてもある存在(感)だ。しかし、獨りであることはある次元では他者を受け入れないことであり、別の次元では同じ他者を深く受け入れることである。そもそも服田はそれを実践している人間であり、それが服田の描くところに確信を与えているのは明らかである。

Snooo(T U O K)Nooo Kitty Projects


 
 
 

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