忘れるために
NOOO KITTY Project(T U O K)
Artist Talk Session with MIZUTAMA
to forget
忘れるために
こちら入場無料で開催しました。人数も少なかったのでぽかぽかの屋上へ
アイスやティーも無料でした。
ラグやヨガマットを敷いてストレッチしながらグラウンディングトークセッションしましたー(地べた座ってはなししたっていうことです)
これからのセッション企画はセルフサービスのアルコール(ダメじゃないので税金みたいなもんです)以外オール無料ドネーション式にしたいと思ってます。自分の分だけの持ち込みはやめてね。持ち込むならみんなの分も持ち込んでね。社会的に勘違いしてる傾向があるけどほんとはお金もらってもサービスするだけで対等なんだけど、無料でならなおさら対等なのではっきりお断りします。魂は捧げるけど売ってません。(T U O K)
セッションっていうのは、本来人が集まって何かをする場という英単語で、トークショーやトークギグっていうのもおおいにけっこうですけど、自分なりのチューニング(これがけっこう侮れない)で言うとトークセッションかなあと思ってます。今回で言うとぼくとMIZUTAMAくんの役ははなすひと、来てくれた人は聞く人だけど、それは役柄でその形式を受け入れてもらうセッションを持つことでひとつの体験や経験となるというチューニングです。チューンイン、これで曲が奏でられるわけです。良い歌い手である前に聴き手であることは、皆何ものか何役かである前に人であるということです。1月にインドで受けたヨガのティーチャートレーニングのときも、みんな先生になる過程をやっているけど先生役のひとと生徒役にわかれてシュミレーションするわけで。ああ、これはセッションなんだ。みんなができるからみんなが先生役じゃあ違った学びになるもんなあという理解で。なんならヨガのアサナクラス(健康体操的な?)もセッションだし、サットサンガ(賢者との親睦を深めるという意味の朝晩におこなう瞑想やチャンティング、先生のおはなしなどなどの全員集会みたいなもの)もセッションだなあと。
前置き長くなりました。ずいぶんヨガ臭くなりました。
MIZUTAMAくんとのおはなしで、印象的だったのが、5つ。(多い?)
まず1つめ、日本が世界の人からキネティックアート※1がトレンドな国と思われていること。電源である電池や光を放つ電球とか百均で揃うし、少し飛躍して印刷が安いのもその理由じゃないかと。もちろん自然に美の手ほどきを受け、合氣道や禅の文化をつくった俳句の地の人たちらしいとも言えるわけで。うーん、たしかに納得せざるを得ない感じーーー
(※1〈動き〉を取り入れた芸術作品の総称。静的な彫刻に対し自然力、動力、人力で動くオブジェを指す。Art Scapeキネティック・アートより)
2つめ、フィリピンのマニラにFIGYA(此花区にあるMIZUTAMAくんの共同運営しているスペース)のようなスペースをつくって行き来できるようにしたいというおはなし。かなり自分も共感するところで、日本の冬は寒いしフィリピンやインドに行きたいよねーという軽めな理由からまじめな理由はなくもないんだぞーという感じ。こういう直感を大切にするのがぼくが個人的にMIZUTAMAくんに共感するところ。彼の表現は、ほんとうにぶっちゃけていってしまうと狭義での作品そのものは、まだそういったものを経験していないだれかに経験されるもので決して偉大なひとに偉大さを感じさせるようなものではない。だけど、美術は美しくないといけないわけで、何が美しいのかと考えたときやはりそこになにかしらの美しさはある。ただ圧倒的なものやすごい偉大なものではないだけである。それがそもそも美しさの条件ではない。もしだれか経験したことがあるとしても経験していないものにとって大いに奨励されるべきものだし、美しさの経験を重ねることも他の気づきの経験になり得る集中力を生み出す。その表現活動は奨励されるべきだと思う。彼の活動は作品そのものだけでは測れない。彼の性質は土のような重さより風のような軽さだろう。
突然有酸素コラム(直感に委ねる生き方)
人間には顕在意識/潜在意識(≒無意識)/直感とあり、それは生き方に関係してくる。無意識に委ねる生き方をすると本能・環境を通して自分の世界は体質や性質のままの現れになる。意識に任せると理性にコントロールされて比較して世界は欲求不満な禁欲的なものになる。無意識と意識の境目は可変で、意識してなかったことが意識できるようになったというのは、理由付けの方法が変わったということ(それは成長と呼ぶこともありますねー)。その二元論と違う次元のものがある。直感に委ねること、つまり自分が個人的な理由もしくは理由もなくこれだ!っと思い行動すること、これが自分の真実だと体感したことにたいして突き進んでいくこと。直感に委ねる生き方を実践していると、自分の予期しないことを受け入れるチャンスを作ることができるし、それが経験される無意識の変化、理性・意識の変化となる。自分は自分のしたい経験することを、すくなくともやり残した経験をエキサイティングな経験をしたいというのならなぜ理性に、意識に自分の人生をコントロールさせようとするのか。手放し委ねはじめないと直感は無意識と意識を成長させない。正直さは直感に委ねる生き方の折々に意識されておくものことである。その内実はPurify 純化だ。伝染する純化だ。ぼくらは音ではなくそれが響く箱なんだ。ぼくは古時計を想像している。ぼくという箱のなかには振り子や時報を鳴る金属の針。音の波はぼくの内側からきてぼくを震わせる。そして、いまあらゆる想像は放棄され瞑想する。
3つめ、マークさんと子供を介して仲良くなってというなんでもないことに正直にあろうとする姿勢。彼らが共有しているのは母性や父性なのかもしれないなあという、クリエイティブなことにある母性や父性の話をしましたー
母親になることは産むことだけではなく、養子にもらうことでもあるなら、生きものやその他のものに対してそういう性質をもっているもので、それを母性や父性と捉えるのであれば、その共有しているある種の女神のようなものは侮れないし、侮ってないのがMIZUTAMAくんとマークさんの軌跡だなあというはなし。
4つめ、フィリピンはクリスチャン信仰がある(南にムスリムも)、そしてMIZUTAMAくんには岡山田舎育ちの精霊信仰的なものがあるというはなし。バンコクナイツのはなし、スピリットのはなしにもなりました。これは長くなるので割愛。
5つめ、「音楽と美術のあいだ」いまもなお多大なる影響を与える梅香堂の故後々田さんの遺産問題
FIGYAやMIZUTAMAくんの表現形式を考えるうえで、彼だけでなく、有名な人では大友良英からサウンドアートの日本人たちの多くが意識の有無にかかわりなく受け継いでいる遺産である、展覧会とライブパフォーマンスのあいだというはなし。
【音楽家の観点】生演奏の音響と作家や演奏者のいるライブパフォーマンス→本人はいないけど音響のあるインスタレーション→本人もいないし音響も再生環境によるCDなどの録音表現
その音楽家の観点も含めて、音楽家の衣を着た美術作家の作品を受け入れる側に対する問いかけ。現代美術館やオルタナティブスペースの存在価値のひとつとなりえる問いかけとそれを創造する主体となり得ると同時に奨励していく都市民の在り方への問いとなり得る問いかけ。抽象的なプログラムは既にあるので、具体化されていくときにいかに意識されるかが問われることになるだろう。5月のFIGYAでのBIKIさんの風船を割る個展はほんとうに注目したい。
今回からはじまった NOOO KITTY PROJECT (T U O K)、すべての表現活動が芸術家・デザイナー・音楽家・パフォーミングアーツなどの肩書や金銭などのフェティッシュに縛られコントロールされることなく、そういった活動が肯定的に人々のあいだで奨励され、わたしたちが建設的な方法で他者と通じ合うことを重要視するThe University Of Konohana 此花大学は、6月にNOOO KITTY【RoomLies】での展示も控えているMizutamaくんと良い学びそしてプロセス、セッションになりました。でも総じて言えることは、作品であるとか、金融商品とか、展示とか、音楽とか、文脈とかそれ以上に、もっとシンプルに美しいと思えること自体と乖離していないこと、もっともっと自由であることが、やりたいことをやって生きることが美しさそのものであること。どんどんどんどん美しいことやりましょー(T U O K)
mizutama 1985 年生まれ 岡山県出身 大阪市在住。 10 代の頃から音楽活動を始める。2011 年より大阪此花区の共同アトリエ「此花メヂア」入居。共に展覧会に参加。日常の影響を取り込んではアウトプットする。 何でも無いものの面白さ、格好良さと密に関わり続ける事、ミックスアップした物事をサンプリング的手法を用いて作品制作する。そのスタイルは一見、既成のものに見えて、そのものではない。
[ 主な活動 ] 2011 中崎 透 「 エピソード 」 ( 梅香堂) オープニング即興演奏 2012 re_processor ( 此花メヂア、大阪) 2012 三輪の家 ( 奈良) 2013 squash domain (Gallery Parc、京都) 2013 HANARART 2013 [ アイダカラダ] 展 ( 境町の家、奈良) 2013 mizutama 写真展「 wear は食べない」( 應典院、大阪 ) 2014 「 Stolen Names」( 京都芸術センター、京都) 2014 「tokoro 展」ミズタマ 年間 展覧会 ( アートスペースジューソー / #13 )