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【Review】吉原啓太 個展 ”Customized Animal”

  • Snoo
  • 2016年8月22日
  • 読了時間: 3分

本人が何と言うかは別として、本展はロマンティックな作品展となっているとぼくは思う。

自分がそう感じた理由を少し記しておきたい。

ロマン主義とは、18世紀後半のものであるが、その語源は、古代ローマ帝国までさかのぼる。文語として高度な文化を生成していた古典ラテン語に対し、民の使用する口語として分離していった俗ラテン語(ロマンス語)の文脈に端を発するという意味の、簡単に言うと支配階級の文化ではなく、庶民の文化に端を発する文学などをそう呼んだのだった。

そんな庶民の言語による作品にはいくつかの傾向がみられる。

まず、それまで古典主義において軽視されてきた題材が現れる。現実ではないどこかへの旅への憧れとしてのエキゾチスム・神秘主義・夢・宇宙など。またドグマティックに抑圧されてきた個人の感情、憂鬱・不安・動揺・苦悩・愛・色恋などを大きく扱う。

ロマンチックねーというやつですねー(美術とかだとちょっと卑下するような感じもするわね・・・)

そして、それらの一見不真面目な題材は、純粋個性とよばれる捉え方によって生命を得る。生命のなかに居場所を見つけるとでもいいましょうか。

それは人として生きている時間でありそれ以外ではありえない独自性に満ちた瞬間でありながら、他の瞬間に繰り返されることも、また、新たな瞬間や、新たな体験をその先で照らし出すことも永遠に可能といえる純粋個性的な生命が作品それ自体に内存しているということ。

もうひとつの大きな傾向として、ある種の「あきらめ」 という姿勢がある。

いわゆる「重要なこと」は目の前では起こらないことを受け入れている。能動的に。

彼の生きてきた、また生きている環境や興味を持ってきたものは、彼に言わせると「彼ら自身を彼ら自身によって不可避に加工してきたもの」 ”Customized Animal” と捉えている。

作家である彼はこれまで、そのものだけでは成立しない、人間がそれを介して反応もしくは関心を示したり示さなかったりで関係をつくることで作品となりうるもの、つまりはインタラクティブな作品を発表してきた。テクノロジーやサイエンス、社会慣習やシステムなどの使用法の提案となる媒介物の発明のようなプロジェクトといってもいいのかな。ちょっとした哲学用語とライムでいうと、機械化したものによってさりげないときを機会と化す美術マシーン。彼のマッサージ機器の音や光への機械化とある種の脱領土化は媒介物の発明をも含んだ、彼自身を加工してきたものへの「あきらめ」の合作のようなはかない美しさを人間に感じさせる純粋個性のさりげない異物感のある実体となってはいないか、というような気がしているがどうだろうか。

ぜひみにきてくださーい!

展示見に来た人はドリンクとかフードオーダーしてもらったら喜んでつくるのでよろしくっす!


 
 
 

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