【Review】吉川かおり ”Solo Clubbing”
- Snoo
- 2016年6月20日
- 読了時間: 2分

「管理されざる」考え方、Natural BornのInnocence
Natural Born Killersはウディ・ハレルソンとジュリエット・ルイス主演の、彼女の両親を殺し、その後も人を殺しまくりながら逃避行する映画だが、それにちなんで、吉川かおりのことをNatural Born Artistと呼んだ作家がいた。
彼女がつくるのは、無邪気な衝動にもとづいた動かしがたい明確な自由を持った作品たちである。手近な安価な材料を使い即興的に作成するものであり、その際に表現の強度を求めた実験や、何かを追求しているわけでもない。もちろん扱っている問題は深刻なのだが、賢者を自認する者たちのスタイルから見れば、吉川かおりは真面目には見えないだろう。それゆえに、彼女に作品について聞くことはその場を気まずい雰囲気にすること以外に何の効果もない。
芸術とは、ひとつの遊びであり、ごまかしであり、類化の奇術であり、その奇術に引っかかるもの以外には何の魅力もないし、そうあるべきである。作家も鑑賞者も無邪気になりきること以外に、その深みに到達する方法はないはずだ。芸術の世界や詩の世界に特有の無邪気さは、ドグマティックな「博識の学者」たちが考えるほど無垢なものでも無害なものでもない。現代性とは無常であり、うつろい続ける社会や道徳などに対して、普遍で永遠と信じられる在り方との不一致としてのズレが起こす距離のことであり、現代性を伴った無邪気さは根源的な意味での個性であるからゆえに、無差別な加害者であり、言語および思想様式を変えるものである。もちろん、吉川かおりやその作品にそんな力はない、これははったりで過度な言い回しにすぎないといわれれば、それを認めざるを得ない。それは奇術のタネを見破ったとしかいえないだろう。10:10:00はそれなりの経過的理由のあるデザインである。検索すれば出てくるだろう。しかし、吉川の作品は少数の人々が「誤った社会組織や道徳を利用することによって、一貫して遠ざけてきた」精神の真の解放と本来の人間性の実現を目指した「管理されざる」考え方によるものであることは明らかである。
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