【Review】生島大輔 と ノイズ 8/29(土)
ある日、インドネシアのガムランを聴こうとYOU TUBE検索をしたときにSHOW MOREを押して、たまたま目にした文章を引用します。
数ヶ月前、品川図書館からおよそ30枚ほど、世界の民族音楽のCDを借りて、PCに保存しておいた。それを「東南アジア」とか「中東」とか「アフリカ」とか、地域別にプレイリストを作って、気が向いたときに聞いていた。しかししばらくは、あまり長い時間、聞いていられなかった。 自分にとって、馴染みのない旋律や音色というのは、長く聴いていると不快に感じられてくる。つまり、初めてそれらのCDを聴いて、へぇ、こういう伝統音楽があるんだぁ、と感動したとしても、それを「自分の日常」のなかに取り入れるというのは、また別の次元ということになる。もし、それらに地域に特別の思い入れが事前にないのなら、しばらくの間は残念ながら"我慢"して聴き続けなくてはならない。 わたしはこのごろ、音楽でも、料理でも、良いとか悪いとか、好きだとか嫌いだとか、云わない。 ただ、うーん、これは慣れるのに時間がかかるかもしれないとか、これはすぅーっと入ってくるとか、そんな感じに表現している。 たとえば、中学生の頃、友達に「このCDいいから、聴いてみな」と云われたら、もしその友人のことが好きで信頼しているなら、もう聴く前からその音楽が"いい"と判断している、ということはよくある。なぜなら、そのくらいの年頃の人間に、"いい音楽"とか、まして"悪い音楽"とか、判断する基準がないからだ。そして、好きな異性から薦められたら、第一印象として実はそれほど"いい"とは感じられなくても、努めて、それは"いいのだ"と思おうとするだろう。 わたしにとって、高校生の頃、アメリカやイギリスのロック(当時はどっちの出身か、ほとんど気に留めていなかったが)は、驚くほど強烈に、脳内に浸透してきた。まったく不快に感じることはなかった。おそらく、その頃、毎日、映画を借りてきては視ていたのが、影響していたように思う。わたしにとっては、その音楽は、意識的に「これはカッコいい音楽なのだ」と信じようとすべき対象だったに違いない。 しかし今はこのように考えている。この世に「カッコいい音楽」とか「カッコ悪い音楽」なんてない。有るのはただ、それを「カッコいい」とか「カッコわるい」とか思おうとさせる、何かしらのきっかけ(ほとんどの場合、友人や恋人の言葉や、メディアの反復的な宣伝文句)だけだ。 (後略)
引用元
https://www.youtube.com/watch?v=aVbcaWujz5w&feature=player_embedded
上記のように、世界の民族音楽のCDを聴いてみよう。いや、かつての大衆音楽であったJAZZやBLUESに馴染みのない方はそれを聴いてみるだけでも同じような感覚に陥ることだろう。
よい わるい
かっこ よい わるい ( かっこ がつくと よい わるい はより人類のものとなる)
というものは上記のように自分自身と、その思惟の積み重ねによって膨張する主体宇宙に進入し、その膨張に手をかすものによって作られるものだ。
好き 嫌い
は言語として精神の在り方に関わるような分け難い部分を概念として指し示す、非常に妙なもので、個である以上、大切な失い難い言語であると同時に、何であってもゆずりわたせないものである。
(快 不快 も、共同体のフェティシズムを越えた暁には、動物的にうつろいやすく 妙なものでしょう。)
それらをいっさいゆずりわたさない。
そのような音楽を趣向することは可能だろうか。
もし可能だとすると、
たとえ道徳や、ときの社会が自分を勇気付けてくれたとしても傲慢になるわけにはいかない。
道徳やときの社会 は 一時性のズレ のようなものであるとしたら、
ビジョンは、過去や現在、未来のことではなく、
他者である私 という 普遍なるもの である。
孤独に出あうことしかできない もうひとりの 他者としての 私。
それは 昔風に言うと 神 である。
そして もう一人の私 と その写しである 私 がいる
というように某宗教のようにも言えるだろうが、
これ以降は 嘔吐 を催すことになるので現代風に 神 には死んでもらおう。
道徳や社会は 他者である私 という 普遍なるもの への一時性からの挑戦と考えたい。
もうひとりの私 への挑戦だ。
慣れ と 良し悪し 好き嫌い そういったものを考える個が主体となって 創造するものというのはどういうものであろうか。
それは 他者である私という普遍なるものにかなう創造物 でしかありえない。
いろいろを知ることで
できる限り、それを かろやかに趣向したい。
ひとりのひとにできることが限られているということはなぜだろうか
それは 他者である私にかなうもの を趣向するフィジカルな私がいるからである。
それは しゅんかんの じぶん でしかできないと言うことしか許されない密度を持つことも可能だろうし、許されるであろう。
それが生の正体だ。
△
民族音楽学者の小泉文夫氏の本によると、トルコと日本は西欧に植民地にされたことがないので、西洋音楽に対して非常に善意にあふれた考え方をし、ひたすら西洋に憧れて自国の伝統は捨ててもいいからああいうふうになりたいと一生懸命まねしてきたそうです。
しかし、日本の音楽教育のピアノの1オクターブを12音の点で分けたもので調律する西洋音楽は偽もので、
ほんとうの西洋音楽のハーモニーは、自由な転調のために便宜的に定められた平均律という平均ではなく、収束する最高の一点を求めていくので、中途半端ないい加減な音ではだめだと言う。
非西洋の音の楽しみ方は収束する最高点(高揚の点だけではない、音の 幅 に対する 点 という概念)ではなく、全体にくつろいでインドネシアのガムランであればペロッグを、あるいはスレンドロを、つまり音の響きの広義の動性を楽しんでいくという。
だから日本の音楽は西洋と比べるといけない。
驚きをもって聴くことのできない原住民でありながら、
西洋ベースの教育にスポイルドされた、
生活と音楽の切り離されたされた耳には、
とても惨めに感じるから。
明治以降日本は惨めになるように教育してきたという言い方もできると。
われらのDJは隣国、とくに東南アジアと比べて聴くのを勧めている。
DJ小泉は、ガムランを聴かせてから、さくらを聴かせるかもしれない
Oh
DJ FUMIO
DJは この両方を知っていれば、ちょうど音楽の場合と同じように、片方の尺度で片方を批判して不愉快になったり、つまらなくなったり、不幸になったりすることはなくなる と続ける。
「わかったよ、本当にすばらしい」 と涙しそうになる。
そういうものだろう。 よい DJとはさ。
ほんとうにすばらしいミックスでおどらせてくれる。
ENITOKWAさんに教えていただいた、正体不明のモロッコ楽器を使用するJOSHUA ABRAMOSもお正月の音楽コンピ(日本音楽理解の音楽?)にいまなら入る??そんな素敵なENITOKWA氏も参加のKRUISPUNTのCDはKittyで絶賛取り扱い中ですので、よろしくです。(告知をしたたかに笑)
収束する緊張感と非西洋のハーモニクスオーケストラ プロ愚劣 テクノのさまざまなルーツ
テクノはいったいなにをしているのか
旧約・新約聖書ベースの音楽 アミニズムベースの音楽
お正月を感じる音楽 DJ小泉文夫
最高収束点の音楽 平均をめざすグローバルと最高点に収束する芸術表現
ノイズと聴きなれないものとしての民族音楽、非西洋という意味でのオカルト音楽
でもさ、天皇が宇宙から来て神話が2675年続いて、西洋は神話が続いてなくて・・・神武天皇が革命の意味っていうのはどういうことか。千坂氏の本を読んでもないのに言えないが、だからなんだっていうんだ。神が偉大で、その神はなんなんだ。それが革命のビジョンとなり得るのか。アミニズム的物語をおもしろがるだけで思考停止的な自己満足をしてはいけない。思想は受肉しないといけないのではないのか。思想に受肉した行動とはなにかを考えるべきだ。人によっては西洋とはまったく別の歴史を歩んできた日本には日本しかしていない経験「刀狩」などがあるというが・・・本読んでトークに行こうかしら。
<生島大輔 と ノイズ> Daisuke Ikushima to noise 8/29 土曜日 SATURDAY 29 AUG / 7pm Open LIVE:・生島大輔 Daisuke Ikushima (Bandoneon) ・金属太古(Metal Percussion) ・ tbt S (Noise) OPEN CHARGE(投げ銭) + 1DRINK ORDER 生島大輔 http://daisukeikushima.com/ ピアノ、バンドネオン奏者。 ロックやジャズを聴き16歳からピアノを弾き始める。 19歳からジャズピアノを清水武志氏に師事しその頃より関西各地のライブハウスやバー、レストランなどでジャズを中心とした演奏活動を始める。 同時期タンゴを聴き感銘を受けタンゴの花形楽器であるバンドネオンを門奈紀生氏に師事。 門奈氏率いる日本を代表するタンゴ楽団「オルケスタ・アストロリコ」に参加しアルバムの録音や演奏活動を行う。 2013年7月バンドネオン中心のアルバム「Pensées」発表。 金属太古 http://silver.ap.teacup.com/kinnzokutaiko/ 関西のメタルパーカッショ二スト。 現在は「Avijja」として活動中。 「即興ノスタルジア」主催。他あらゆる即興企画などにも参加。2015年、セカンドアルバムを発売した。 tbt S https://soundcloud.com/tbt-s 2014年12月に某大学の軽音楽部のライブに端を発して活動開始。 大阪の難波ベアーズやBAR KITTYにてライブ活動を行っている。 ロックミュージックをルーツとし、BassⅥ、エフェクター、アンプリファーを用いて無音階音楽を製作。