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Dedicate to Oil Human

OIL HUMAN APR 2015

山下雅己 

Masaki Yamashita

≪オイルヒューマンに捧ぐ≫

世界 には 無数の 作品 があり

その 体験不可能性 を 所有する

再創造される 作品 は

美しい 儚き 共有 

作品 と もの の深淵は 孤独 断片 廃墟

歴史 文学 哲学 を 思いながら

押し黙る もしくは 論理 正否 を諦めたもの だけが

古代 より 不変 の リズムを 語る

Cien Anos de Snoo

2015/04/14

山下さんに作品の展示依頼のラブレターを送り、来店いただけることとなった。個人的哲学だが、作家・音楽家問わず、依頼をすることは愛(恋心)を告白することに類すると思う。

展示はエンターテインメント

作品をつくる人であれば、発表の方法について考えない人はいないが山下さんは特に考えてらっしゃる方と感じる。それもその人の元来の性質による「生き様」によるところが大きいのだろう。

彼は展示空間での展示をエンターテインメントと喩えた。

会期前には、画廊などの空間の主と打ち合わせし、DMをつくり郵送し、メールを含めたインターネット上でのお知らせ、作品はもちろんのこと、会場を機能させるために搬入も含め場所もつくる。会期中は在廊したり、レセプションやトークのようなイベントの主催もしくわ参加、取材など。会期後は搬出もろもろ・・・ととんでもない時間と労力を要する。その割に展示期間は1週間など短い場合も多い。(もちろん、過酷な側面ばかりでは当然ない。)

「いきなりの大舞台」ではない発表の形態の思案

上記のとおり、展示空間での展示はエンターテインメントでいうと、「いきなり大舞台に立つ」ようなもので、制作と展示(いきなりの大舞台)のあいだに、さまざまな社会的カタチを持った作品を体験することの在り方が本来的にはあるのではないかと山下さんは考えていらっしゃる。それには、大学時代の同級生の方が行った、叡山電鉄の線路脇での感動的な作品展示、別の同級生の方が行っている百舌の住宅街のアトリエでのこちらも圧倒的な異光を放ちながらの展示、 ”それぞれの土地で、それぞれにとって、「勝手」に「めんどくさくない」展示をはじめている” ことに対する具体的な体験の観照もあったような内容をおっしゃった。

そして山下さんもその観照に答えるような、KITTYでの作品体験の在り方についての思案を打ち明けてくださった。

どさまわりの薬屋のように

これまでの業界用語で敢えて表現するのであれば、「常設展示」。しかし、作品を店内に大々的に展示するのではなく店の感覚で機能が発揮される場に置き、かつ、毎月取替えに作家が直接交換しに来る。そして、作品に関連するドローイングのコピー冊子の販売をする。(個人的には高円寺の円盤という音楽を取り扱うお店の特異なシステムを思い出し理解が深める示唆をいただいた。円盤のシステムは「作った人が自分で納品してくれたもの」だけを置くというもので、音楽業界の本筋の流通ではありえないような形態をとっている。)

作品は機能しないといけない

「これまでのオイルヒューマンは場所自体が機能していないところで展示してきて、KITTYはもうすでに機能している場所で、機能している本や音楽のような もの で溢れており、店そのものが主役であり一番大事にすべき。場 自体、他の もの が機能している中でどう作品が 機能 するか。

作品をおもしろいと思うことが一番大切

たとえば、「味わい深い詩」を引っ込み思案に店の隅に展示すれば、それを見つけた人は、隅に遠慮がちに置かれていることの意味合いを含めて味わうはずで、それは機能していること。

さらに、最も大切なことは店側が本当に作品を良いと思っていることであり、作家と場に関わる人が 良いと思うもの を共有するということ。」

売れることも含め、旅に出るという考え、所謂作品の末路。それは作品の機能という思考につながっている。

想定されている外側であること

いま活動しているとされる作家である条件は、本来的には制作していることだが、業界では想定される形態の中で発表をしていることである。しかし、いくら想定の外側で発表していても、内側のものに評価されることは取り込まれることに等しく、そういった意味では外側であることは想定されているとしか言いようがない。そういうことであれば、自覚的に取り込まれている外側でいることが自由であることで、徹底的に想定される形態を無視し続けることが必要に思われる。それは、真に作家自身が表現したいものをつくることであり、真に作家自身が興奮するものを創り出すことであり、やや概念的な表現と受け取られても仕方ないが、必要とされるのは自らのエロティシズム(官能性)の持つ先にある真実に向き合う姿勢だ。

もどく (もどき) 模倣とはその結果がものを実在させることになるあらゆる行為を意味する


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