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【Review】FMB & BLOWBOHEMIA Live

詩と音楽と舞踊は、その起源において、ひとつの全体であった。

詩はことばとしては消えてしまい、音に融け込んでしまった。

ことばと音をふたたび融合させようとする音楽家へ。

ことばによる表現を求める音体験者たちへ。とも言い換えられるだろう。

まず、このような何かの結果であるはずの交流のようなものを一時性にかまけて、無為に反復を生み出しているつもりはないことをはっきり記しておこうと思います。

率直に言うと、共同体という世界イメージの中に孤独を見出していたものと接するとき、彼らというよりむしろ、彼らと同じ共同体を元にした世界イメージの中の孤独を失った自分自身を考えさせられます。

​実際の人間の世界認識は共同体などではなく、イメージであり、そこに盲目の孤独であれることが存在の源泉であり、消滅した世界イメージは共同体認識を元に共有した自分の世界イメージでしかない、故に、元来孤独であること自体は変わらない。 それを消失したのは自分であり、それを望むか否かは運命であり、それを望んだ無限の欲望は、人間の本質の純粋性故にでしょう。

すこしそのことと向き合う時間を持ちつつ他者としての自分、すなわちもちろん自分を含んだ関心のために文章にしました。

ご興味あれば、ご参照ください。

行為としての音とダンス、それぞれが構築されることにより喚起されるイメージとしての音楽とダンス、それらが不在とされ散り散りに分散されて消費されるようになってから長い年月が経つ。分散は複数化ではなく反復である。その間それは反復されていまも反復され続けている。

孤独。それは分散するまえからの孤独とははっきりと異なる。本当は世界の中で孤独なのではなく、世界がないのだ。

世界は分散しただけでなく消滅した。散り散りになってもなお反復されるそれぞれの増幅された自我はどれもこれまでどおりに盲目的に戦っている。しかし、それぞれの場所は画一的でありそれが日々の行為で織り成された体験である他者性を喪失させる、それぞれが全体の部分でさえない。

別化性能の不可能性ゆえの禁欲性

すべての認識の自然な器官は、身体的な感覚でもなければ理性的な推論でもない。

どちらも認識を言語的に再創造するのには限界があり、それゆえに記号化しない認識においては、体験可能でも消費不可能である。音を究極的に言語化できないのは、その目的が呼気的であるためで、吸気的な対象を言語化するためには、同質の詩的言語をもって再創造するしかない。(※高次の翻訳を参照していただきたい)

詩的言語とは音そして舞踊などと同じように目的が内存している言語でその認識は想像力である。類化性能だ。

類化性能とは、ものとものの類似点を見出し、それを理由に同じものとすることで、比喩がその一種であり、その反対は別化性能である。別化性能はものとものの差異を見出すことにより、それを理由に別のものとすることで、科学の思考方法である。

さらに言えば、別化性能は想像力とは違い、言語の再創造不可能性に見るまでもなく、欲望を達成不可能という意味で禁欲的であり、究極的な人間の本質である無限の欲望に反する。

満たされた欲望は そこに 生と美の果実を実らせる

というのはブレイクの人間の想像の歴史の賛歌、アダムの展変の歴史についての詩である。

もちろん人間は社会と無関係には生きられないので、類化性能だけでは生きていけるのかは疑問ではあるが、同じように、別化性能だけでも生きられないはずであり、それが過度に傾いているのが現代といわれて然りだろう。その成熟は相対的に問われるところでもある。

世界のイメージは、現代のわれわれの実質的な利己的な合理である別化性能的な(科学的な)方法では認識の再創造が不可能なあらゆる種類のポエジーという無、または音であれば即ちそれは広義の意のイメージの伴わないノイズのようなものによって想像される。

そこには消費されえない世界のイメージがある。 21世紀の音イメージとしての音楽は19世紀の詩と同じ運命を辿ろうとしている。

すなわち、いま、抽象化し象徴化し、散り散りになった世界のイメージを再創造しようとしている本当の行為には、それにも関わらず居場所が与えられなくなるだろう。

再び世界が現れることがあるのか。

類化および別化性能を手なずけて、それぞれに世界のイメージを再創造していき、その再創造された世界の中で再び誰にも頼まれていない仕事を興味深くしていくという意味で本質的な孤独になることは、真に悲劇的な故の英雄的行為として普遍の美を求めて生きていく行為に近いのではないだろうか。

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11/1(Sun) 19:00 Open 20:00~ Charge free(投げ銭制) 韓国・台湾・ベルリンのシーンでも活躍している桝本航太のユニットBLOWBOHEMIAのライブ。そして今回のお相手は、ダンスシーンからのHouse Musicを創り続けるセノビー&タカのFMB。シカゴのJuke/Footworkのようなおもしろい飛躍があるのか!? 是非お誘い合わせの上お越しください。 Live:FMB    BLOWBOHEMIA FMB (TAKA & SENOBY) ダンサーやDJとしても活動する2人によるトラックメイクユニット。 緻密さとダークさを絶妙のバランス感とセンスで組み立てた極上のダウンビートを創るTAKA、 荒ぶる感性を持ちアグレッシヴに展開するテクノビートで攻めるSENOBY。 この2人の音楽感が混ざり合いひとつの空間を創りだす。 昨年のアルバムリリースを経て、 現在はイベント「Mixing Room」を主宰するなどそれぞれの感覚を発信し続けている。 BLOWBOHEMIA (KOTA MASUMOTO) ヨーロッパからアジア各国まで演奏を続ける 音楽家•枡本航太によるクロスオーバーミュージックのプロデュース/ライブ名義。 東アジア的ともいえる黒さと、生楽器やサンプリングをベースにした暖かみあるシーケンスのグルーブとギターの演奏で織り上げる。 近年は韓国、台湾へも積極的にツアーを行い、各地の音楽家とネットワークを作り、発酵熟成されたそのたおやかなリズムは各土地へと拡がり続けている。 https://youtu.be/7VvKo_3UpEA https://m.soundcloud.com/blowbohemia-official?utm_source=soundcloud&utm_campaign=share&utm_medium=tumblr Cosmopolitan musician who’s going on a journey with no certain place to settle down. The singing unique voice with japanese lyrics are often said as “chant”, and shows an expanse in all parts of the world. Also, as a crossover music producer “BLOWBOHEMIA”, giving a mysterious and sexy Feeling to the floor with the sampling-based tracks which have warmly soft groovy sequence wearing Oriental atomosphere. Not only crossing over 100 places in Japan, delivering the seasonal sound breeze to Europe, Southeast Asia, Korea and taiwan so on.


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